今回Massel取材班がお話を伺ったのは、日本の乳がん医療を代表するお一人であり、患者さんの「今」そして「未来」を見つめ日々奔走されている大野真司先生。
数年前、テレビ「情熱大陸(TBS系)」にも登場された先生に、日本で最多の手術数( 年間1,200例)の実績を持つがん研有明病院での「今」について、また「未来」へのがん研究について、じっくりお聞きしました。
記事は全4回の連載です。少々長めですが、どうぞお付き合いください。
「お母さんこそ一家の大黒柱」乳がん専門医へ
僕は最初から乳がん専門医だったわけではなく、もともとは九州大学病院で食道がんのチーフをしていました。
九大病院は食道がんがメインの外科なのですが、乳がんの患者さんも来られていて、同じ食道がんの医師が診ていました。
というのも、2000年以前の当時は乳がん専門医は少なく、消化器外科が兼任するのは珍しくないことでした。
2000年以降くらいに乳がんは複雑な治療が必要ながんである、ということが医学会で認知されてガイドラインができ、海外の治療法や研究などの情報が入るようになって、専門医が増えていったという背景があります。
乳房温存が広まったのが2003年くらいで、それ以前はあまり温存はしませんでした。現代は温存して、再建して、薬物療法が進歩して、診断するための方法も増えて…他の疾患と一緒にやるというにはあまりにも奥が深い病気です。
九州がんセンターの乳腺科の部長がお辞めになる際、そのポストへの話がきて、戸惑ったのを覚えています。
乳がんに移るからショック、というわけではなく、今までやってきたことと違う、という戸惑いが大きかったです。
その迷いを打ち消してくれたのがインターネットで目にした、ある手記でした。
僕が食道がんを専門にしていた理由は、男性が罹患する割合が多い病気の治療に携わり、一家の大黒柱を救いたいという想いからでした。
でも、乳がんで母を失った子どもや家族の言葉…手記を読んでいくうちに「ああ、お母さんこそが一家の大黒柱なのかもしれない」と感じたんです。
僕自身も小学生の時分に父親を亡くして、母親に育ててもらったのですが、父と母が逆だったらどうなってたんだろう…たぶん、今のようにはなれていない気がします。
一家の大黒柱を救う。
治療する臓器は違うけど、向き合うことは同じなんだと思えて、迷いはなくなりました。
医療に100%はない、だから話し合う
がん研有明の乳腺センターは、内科医が8名、外科医が26名、計34名(2018年取材時)の医師が在籍していて、そのメンバーで年間約1,200例の手術をしています。
34名の医師がより患者さんや治療と向き合いやすく、より働きやすくなる環境づくり。それがいまの僕の仕事の一つになります。
現在は400例ずつを3チームで診ています。難しい症例は週2回ある全員参加のカンファレンス(会議)で検討します。
もちろん、意見が分かれることもあります。そのときは多数決で決めますが、僕vs残りのメンバー全員なんてことも。
科学的根拠(エビデンス)が少ない領域は医師の判断に拠るので見解が分かれます。正直いうと、そういうことは、しょっちゅうあります。
標準的な治療方針を示したガイドラインがありますが「参加した医師の全何名中、何名の医師が同意して掲載するに至ったか」ということまで、記載されています。それぐらい医療に100%はない、ということです。
抗がん剤を使っても再発するかもしれないし、抗がん剤を使わなくても再発するかもしれない。なので、E B M( e v i d e n c e – b a s e d medicine=根拠に基づく医療)を行います。
もちろん少数派の意見にも判断の根拠があるので、その根拠を聞きながらとことん話し合っていきます。